当前位置: 庄子 >> 庄子推荐 >> 中日对译庄子内篇逍遥游二
原文
尧让天下于许由,曰:“日月出矣,而爝火不息,其于光也,不亦难乎!时雨降矣,而犹浸灌,其于泽也,不亦劳乎!夫子立而天下治,而我犹尸之,吾自视缺然。请致天下。”许由曰:“子治天下,天下既已治也,而我犹代子,吾将为名乎?名者,实之宾也,吾将为宾乎?鹪鹩巢于深林,不过一枝;偃鼠饮河,不过满腹。归休乎君!予无所用天下为。庖人虽不治庖,尸祝不越樽俎而代之矣。”
書き下し文
分堯(ぎょう)、天下を許由(きょゆう)に譲りて曰く、「日や月が出るときに爵(たいまつ)の火を息さざれば(けさざれば)、その光ること亦(まこと)に難ならずや。時雨の降るに猶ほ(なお)浸灌げば(みずそそげば)、その沢す(うるおす)こと亦に労ら(いたずら)ならずや。夫子(ふうし)が立てば天下治まる。しかるに我なお之を尸むる(おさむる)は、吾れ自視て(かえりみて)欠然る(こころあきたらざる)あり。請う、天下を致らん(ゆずらん)」と。許由曰く、「子(きみ)、天下を治めて天下既に治まれり。しかるを我なお子に代わらば、吾将に名を為さんとするか。名は実の賓(そえもの)なり。吾将に賓にならんとするか。鷦鷯(みそさざい)は深い林に巣くうも一枝を用うるに過ぎず、偃鼠(むぐらもち)は河に飲む(みずのむ)も腹を満たすに過ぎず。帰り休まれよ君、予(われ)は天下に用となるも為す所なし。庖人(りょうにん)は庖(りょうり)を治わず(まかなわず)と雖も、尸祝(かんぬし)は樽と俎(まないた)を越いて(うばいて)之に代わらざるものを」と。
現代語訳
尭が天下の統治権(天命)を尊敬している許由に譲ろうとして言った。「日や月が出ている明るい時に松明の火をつけたままでいても、その松明が輝くことは難しい。大雨が降っている時に田んぼに更に水を注いでみても、それは無駄な徒労である。あなたが立って下されば天下が治まります。しかし、私自身の天下の統治を振り返ってみるとその拙劣な所ばかりが目に付いてしまいます。どうかお願いです、天下をあなたにお譲りしたいのです」と。許由がそれに答えて尭に言った。「あなたは既にご自分で上手く天下を治めておられるではないか。それなのに、私があなたに代われば、私が名声を求めているということになってしまう。名声というのは主人のいない客に過ぎないが、あなたは私にその虚しい客の立場になれと言うのか。みそさざいの鳥は深い林に巣を作るが、ただ一本の枝だけを用いるに過ぎない。むぐらもちの獣は大河の水を飲んでも、ただ自分の腹を満たす量の水だけで十分なのだ。帰ってお休みになられよ、私が天下に対して為したいことなどはないのだから。たとえ料理人が料理を怠ろうとも、神主は樽や俎板を横から奪い取ってその料理人の代わりなどはしないものだ」と。
现代汉语
尧要把天下让给许由,说:“太阳月亮出来了,而小火把还不熄灭,它的亮度,要和日月相比不是太难了吗!及时雨降下了,还要灌溉田地,对于滋润禾苗,不是徒劳吗!你如果成了君王,天下一定大治,而我还徒居其位,我自己感到惭愧极了,请允许我把天下交给你。”许由说:“你治理天下,天下已经治理好了,而我再接替你,我岂不是为名而来吗?名,是依附于实的客体,我难道要做有名无实的客体吗?鹪鹩在深林中筑巢,只要一根树枝;鼹鼠饮河水,只要肚子喝饱。请你回去吧,天下对于我没有什么用!厨子虽然不下厨,主祭的人却不应该超越权限而代行厨子的职事。”
原文
肩吾问于连叔曰:“吾闻言于接舆,大而无当,往而不返。吾惊怖其言,犹河汉而无极也,大有径庭,不近人情焉。”连叔曰:“其言谓何哉?”“曰:‘藐姑射之山,有神人居焉。肌肤若冰雪,绰约若处子;不食五谷,吸风饮露;乘云气,御飞龙,而游乎四海之外;其神凝,使物不疵疠而年谷熟。’吾以是狂而不信也。”连叔曰:“然,瞽者无以与乎文章之观,聋者无以与乎钟鼓之声。岂唯形骸有聋盲哉?夫知亦有之。是其言也,犹时女也。之人也,之德也,将旁礴万物以为一,世蕲乎乱,孰弊弊焉以天下为事!之人也,物莫之伤,大浸稽天而不溺,大旱金石流、土山焦而不热。是其尘垢秕糠,将犹陶铸尧、舜者也,孰肯以物为事!”
書き下し文
肩吾(けんご)、連叔(れんしゅく)に問うて曰く、「吾(われ)言(はなし)を接輿(せつよ)より聞けるに、大(おおげさ)にして当たらず、往せ(くちまかせ)にして反め(とりとめ)なし。吾其の言に驚き怖れぬ。猶も(あたかも)河漢(あまのかわ)の極なきがごとし。大いに逕庭(けいてい)有りて人情に近からず」と。連叔曰く、「其の言は何と謂へるや」と。肩吾曰く、「藐か(はるか)なる姑射(こや)の山に神人の居るあり。肌膚(はだ)は氷や雪の若く、卓約か(しなやか)なること処子(おとめご)の若し。五穀を食らわず、風を吸い露を飲み、雲気(くもきり)に乗り、飛ぶ竜を御し、而して(しこうして)四海の外に遊ぶ。其の神(せいしん)の凝れば(こりあつまれば)、物を疵つけ(きずつけ)癘ましめず(やましめず)、年の穀り(みのり)を熟(ゆたか)ならしむと。吾是の以(このゆえ)に狂(でたらめ)として信ぜざるなり」と。連叔曰く、「然り。瞽者(こしゃ)は以て文章の観め(ながめ)を与る(みる)すべなく、聾者(ろうしゃ)は以て鍾鼓(しょうこ)の声を与く(きく)すべなし。豈に(あに)唯り(ひとり)形骸(にくたい)にのみ聾と盲とあらんや、夫れ(それ)知(せいしん)にも亦これありと。是(これ)その言や猶ほ時の女(なんじ)のごときをいうか。之の人(このひと)は、之の徳は、将に万物を旁く(あまねく)おおいて以て一つに為さんとす。世(よのなか)の彼に天下を乱めん(おさめん)ことをもとむるも、孰ぞ(なんぞ)弊弊焉(あくせく)として天下をおさむることを以て事(しごと)と為んや(せんや)。之の人は物(なにもの)も之を傷つくることなし。大浸(おおみず)の天に稽く(とどく)とも溺れず、大旱(おおひでり)に金や石の流れ、土山の焦るる(こがるる)とも熱(やけど)せざるなり。是其の塵垢(ふけあか)と粃康(くいかす)もてさえ、将に猶ほ尭舜を陶鋳さん(つくりいださん)とする者なり。孰ぞ肯て(あえて)物(よのなか)をおさむることを以て事(しごと)と為さんや」と。
現代語訳
肩吾が連叔に質問して言った。「私が接輿から聞いた話は、大袈裟で現実的ではなく、口任せに言っている感じで取りとめがないものだった。私はその話に驚いて恐ろしく思った。まるで宇宙の天の川に果てがないようなものだったからだ。世間の一般常識から懸け離れていて、人情からも遠く離れた話である」と。連叔は言った。「その話はどういった話だったのか」と。肩吾は答えて言った。「遥か遠くにある姑射山(こやさん)には神人がいると伝えられている。神人の肌は氷や雪のようにひんやりとしていて、処女のように滑らかなのだそうだ。五穀(米?麦?粟?稗?麻)を食べず、風を吸って露を飲み、雲の上に飛び乗って、飛ぶ竜を制御して従わせることができ、悠々と四海の外へ飛んで遊んでいる。神人の精神が集中して凝集すれば、怪我や病気がたちまち治ってしまい、一年の穀物も豊作となって飢餓も消滅するという。私はこんな荒唐無稽な話はでたらめだと思って信じることができなかった」と。連叔が言った。「そうか。目が見えない者は文章を眺める手段がなく、耳が聞こえない者は鍾鼓の音を聞く手段がない。どうしてただ肉体的な原因による盲と聾だけがあるなどと言えるだろうか、精神においてもまた盲と聾というものがあるのだ。精神的な盲や聾というのは、肩吾、お前のような俗物の人間のことを言うのだ。神人は万物を遍く覆い尽くす徳を持っており、すべてを『一』に統合しようとする。世の中の人が、神人に天下を治めるための政治をすることを求めても、どうしてあくせくして天下を治めるような政治をその神人が仕事にするだろうか。神人は争うことなく誰も傷つけることがないのだ。天に届くような大洪水があっても溺れず、金や石が焼けて溶けるような大旱魃に見舞われても火傷をしない。神人のフケや垢、食べかすからでも、尭?舜といった人物を造りだせるほどである。どうしてこのような超越的な能力を持つ神人が、俗世?天下を治めるようなつまらないことを仕事にするだろうか。」と。
现代汉语
肩吾向连叔求教:“我从接舆那里听到谈话,大话连篇没有边际,一说下去就回不到原来的话题上。我十分惊恐他的言谈,就好像天上的银河没有边际,跟一般人的言谈差异甚远,确实是太不近情理了。”连叔说:“他说了什么话呢?”肩吾说:“他说:‘藐姑射山上,住着一位神人,肌肤像冰雪一样洁白清透,容态轻柔婉约如同处女;不吃五谷杂粮,只是吸风饮露;乘着云气,驾着飞龙,遨游于四海之外;他的精神凝聚专一,能够使万物不受灾害,五谷丰登。’我听了这些话,所以认为纯属诳言,一点也不可信。”连叔说:“当然啦,对于失明的人无法让他和别人一样观赏花纹的美丽,对于失聪的人无法让他和别人一样聆听钟鼓的乐音。岂止形体上有失明失聪呢?人的心智也有啊。上述的话,也是针对你而言的啊。那个神人啊,他的德性,将要混同万物,浑如一体,世人期望世间得到治理,但是有谁愿意劳劳碌碌去管世间的俗事呢!这样的人,万物不能伤害他,洪水滔天也不能淹没他,酷暑大旱使金石熔化、土山枯焦,也不能让他感到炽热。他所留下的尘埃以及瘪谷糠麸之类的废物,也可造就出尧舜那样的圣贤仁君来,他怎么会把管理万物当作己任呢!
原文
宋人资章甫而适诸越,越人断发文身,无所用之。尧治天下之民,平海内之政,往见四子藐姑射之山,汾水之阳,窅然丧其天下焉。
書き下し文
宋人(そうひと)、章甫(しょうほ)を資れて(しいれて)諸越(しょえつ)に適けり(ゆけり)。越人(えつひと)は髪を断ち身に文(いれずみ)ありて、之を用うる所なし。尭、天下の民を治め、海内(かいだい)の政(まつりごと)を平らかにして、往きて四人の子を藐か(はるか)なる姑射の山に見しが、汾水(ふんすい)の陽(きた)にて目然(ようぜん)して其の天下を喪れたり(わすれたり)。
現代語訳
宋の人は、殷の時代から使われている礼冠の『章甫』を仕入れて、越の国に行商に出かけた。越の人は髪を短く切って身体に刺青をしている野蛮な人たちだったので、章甫の冠などを用いることは無かった。尭は天下の民を治めて、中国の政治を礼楽の思想で安定させて、姑射の山で伝説的な四人の神人にも会ったというが、汾水の北の土地では既に尭の礼楽による統治などは忘れ去られてしまっているのである。
现代汉语
北方的宋国有人贩卖帽子到南方的越国,越国人不蓄头发满身刺着花纹,没什么地方用得着帽子。尧一心治理天下的百姓,安定海内的政事,前往藐姑射山上,汾水的北面,拜见四位得道之的高人,不禁怅然若失,忘记了自己居于治理天下的地位。
原文
惠子谓庄子曰:“魏王贻我大瓠之种,我树之成而实五石。以盛水浆,其坚不能自举也;剖之以为瓢,则瓠落无所容。非不呺然大也,吾为其无用而掊之。”庄子曰:“夫子固拙于用大矣。宋人有善为不龟手之药者,世世以洴澼为事。客闻之,请买其方百金。聚族而谋曰:‘我世世为洴澼,不过数金。今一朝而鬻技百金,请与之。’客得之,以说吴王。越有难,吴王使之将。冬,与越人水战,大败越人,裂地而封之。能不龟手一也,或以封,或不免于洴澼,则所用之异也。今子有五石之瓠,何不虑以为大樽而浮乎江湖,而忧其瓠落无所容?则夫子犹有蓬之心也夫!”
書き下し文
恵子(けいし)、荘子に謂いて曰く、「魏王、我に大瓠(おおひさご)の種を貽れたり(くれたり)。我之(これ)を樹えて(うえて)成りしに、その大きさ五石(ごこく)を実る。これに水漿(のみもの)を盛れば、其の堅きこと(おもきこと)自ら挙げる能わず(あたわず)。之を剖いて(さいて)以て瓢(ひしゃく)と為せば、瓠落(ひらたく)して容るる所がない。号然として大きからずには非ざれども、吾その無用であるがために之を剖り(わり)ぬ。荘子曰く、「夫子(そなた)は固(まこと)に大なるものを用うるに拙し。宋人に手に亀れ(あかぎれ)せざる薬を為る(つくる)に善(たくみ)なるものあり。世世(よよ)絖(わた)をさらすことを以て事(しごと)と為せり。客の之を聞いて、其の方(つくりかた)を百金にて買わんと請める(たのめる)ものあり。かれは族(しんせき)を聚めて(あつめて)謀りて曰く、我世世絖(わた)をさらすことを為すも、数金に過ぎず。今、一朝(たちまち)にして技をうりて百金となる、請う之を与らん(うらん)と。客之を得て以て呉王に説けり。越に難(いくさ)ありて呉王之の(この)おとこを将とならしむ。冬に越人と水戦して大いに越人を敗れり。地を裂きて之を封ず。能く手に亀れ(あかぎれ)せざるは一(おなじ)なるが、或は以て封ぜられ、或はわたさらしとして終わるを免れざるは則ち用い所の異(ちがい)なり。今、子(そなた)に五石の瓠あり。何ぞこれ以て大樽(おおたる)を為りて(つくりて)江(かわ)や湖に浮かぶことを慮えず(かんがえず)して、其の瓠落(ひらたく)して容るる所なきを憂うるや。すなわち夫子には猶ほ蓬れたる(とらわれたる)心有り」と。
現代語訳
梁の恵王に仕えていた恵施(恵子)が荘子に言った。「魏王が私に大きな瓢(ひさご)の種をくれた。私はこの種を植えて瓢が実を結んだのだが、その大きさは五石の穀物が入るほどである。しかし、これに飲み物を入れると、余りに重たすぎて持ち上げることができない。これを割ってひしゃくにしてみても、平ぺったい形なので水を入れることができない。確かに無茶苦茶大きな瓢ではあるのだが、何の役にも立たない無用の長物だったので叩き割ってしまった」と。荘子が言った。「あなたは本当に偉大なものを使うのが下手なだけである。宋の人に手のあかぎれを治す薬を作るのが上手な人がいた。先祖代々、綿をさらす仕事をしていた者である。旅をしている男がこの話を聞いて、その綿の造り方を百金で売ってくれないかと言ってきた。綿をさらしていた男は親戚を集めて話し合いをしてから言った。私は代々綿をさらす仕事をしていたが、その利益はたったの数金に過ぎなかった。それがわずか一夜にして、このあかぎれしない薬を作る技術を売って百金にもなるのだという。分かりました、この薬の技術をぜひお売りしましょうと。旅の男はこのあかぎれを防ぐ薬づくりの技術を買い取ってかた呉王に話した。越と戦争があっており、呉王はこの旅の男を将軍に任命した。冬に越と水戦をした呉は、旅の男が持ってきたあかぎれを防ぐ薬を使って、越を大いに打ち破って戦果を上げた。呉王は土地を分かちて、旅の男を諸侯として封じることにした。手にあかぎれを作らない薬を持っているという意味では、旅の男も代々わたさらしをしている男も同じである。だが、一方は諸侯として封じられ、もう一方は代々わたさらしのままで終わってしまうというのは、『用い方?使い方の違い』なのである。今、あなたには五石の大きさの瓢がある。どうしてこれを加工して大樽を造り、河や海に浮かべて船にするようなことを考えず、ただその瓢が浅くて平ぺったいことばかりを心配するのか。つまり、あなたの心はまだ世間の常識(俗世の価値観)に囚われ過ぎているのだよ」と。
现代汉语
惠子对庄子说:“魏王送给我大葫芦的种子,我种下后结出的葫芦大得可以容纳五石。用它来盛水,它却因质地太脆无法提举。切开它当瓠,又大而平浅无法容纳东西。我不是嫌它不大,只是因为它无用,我把它砸碎了。”庄子说:“你真不善于使用大的物件。宋国有个人善于制作防止手冻裂的药,他家世世代代都以漂洗丝絮为职业。有个客人听说了,请求用一百金来买他的药方。这个宋国人召集全家商量说:‘我家世世代代靠这种药从事漂洗丝絮,一年所得不过数金;现在一旦卖掉这个药方马上可得百金,就卖了吧。’客人得到药方后,便去游说吴王。这时越国发兵攻打吴国,吴王就派他领兵打仗。冬天,吴军与越军水战,大败越军,吴王划出一块土地封赏他。同样一个让人手不皲裂的药方,有人用它得到了封赏,有人用它只能从事漂洗丝絮的工作,这是因为用途不同。现在你有五石那么大的葫芦,为什么不考虑把它当作腰舟系在身上,去浮游于江湖之上,却担忧它大而无处可容纳,可见你的心地过于浅陋狭隘了!”
原文
惠子谓庄子曰:“吾有大树,人谓之樗。其大本拥肿而不中绳墨,其小枝卷曲而不中规矩。立之涂,匠者不顾。今子之言,大而无用,众所同去也。”庄子曰:“子独不见狸狌乎?卑身而伏,以候敖者;东西跳梁,不辟高下;中于机辟,死于罔罟。今夫斄牛,其大若垂天之云,此能为大矣,而不能执鼠。今子有大树,患其无用,何不树之于无何有之乡、广莫之野,彷徨乎无为其侧,逍遥乎寝卧其下?不夭斤斧,物无害者,无所可用,安所困苦哉!”
書き下し文
恵子、荘子に謂いて曰く、「吾(われ)に大いなる樹あり。人は之を樗(おうち)と謂う。其の大本は擁腫ちて(ふしくれだちて)縄墨(すみなわ)に中らず(あたらず)、その小枝は巻き曲がりて規(ぶんまわし)と矩(さしがね)に中らず、之を塗ばたに立ておくも匠者(だいく)の顧みるものなし。今、子(きみ)の言(ことば)も大きくはあれど用うるすべ無し。衆の同じく去る所なり」と。荘子曰く、「子(きみ)は独りいたちを見ざるか。身を卑めて(かがめて)伏せ、以て敖ぶ(あそぶ)者を候い(つけねらい)、東西に跳梁し、高きところも下きところも避けず、ついに機辟(わな)に中り(はまり)、罔罟(あみ)にかかりて死す。今、かのくろ牛は其の大いなること天に垂れる雲の若し(ごとし)。此れ能(まこと)に大いなれども鼠を執うる(とらうる)ことは能くせず。今、子に大いなる樹ありて、其の用うるすべ無きを患うる(うれうる)も、何ゆえに之を何も無き郷(むらざと)、広漠な野に樹えて(うえて)、彷徨乎(ほうこうこ)として其の側ら(かたわら)に無為い(いこい)、逍遥乎(しょうようこ)として其の下に寝臥らざるや(ねそべらざるや)。斤斧(きんぷ)に夭られ(きられ)もせず、物の害するもなし。用うるべき所なきも、安ぞ(なんぞ)困り苦しむ所のあらんや」と。
現代語訳
恵子が荘子に言った。「私には大きな木がある。人はこの木を樗(おうち)と呼んでいる。その幹は節くれだっていて墨縄で線を引いて材木にすることができない、その小枝も曲がりくねっているので定規や差し金にならない、これを道端に置いておいても大工は誰も拾おうとはしないのだ。今、あなたがおっしゃっていることも、壮大な話ではあるが実際に用いる所がない。一般の大衆は、同じようにあなたの言説を捨て去ってしまうことだろう」と。荘子が言った。「あなたはイタチを見たことがないのか。イタチはその身をかがめて隠れ、動くものを付けねらってあちこちに飛び跳ねる、高いところでも低いところでも構わずに動くことができる。だが、最後には罠にかかったり網で捕まえられて殺されてしまうのだ。今、あの黒牛は天を満たす雲のように堂々として大きい。本当に大きくて立派な黒牛だが、鼠を捕まえることすらできないのだ。今、あなたは大きな木を持っていてその用い方がないことを憂えているが、どうしてこれを誰もいない村里や広大な野原に植樹して育て、囚われない穏やかな心でその木の下で憩おうとしないのか、どうしてのんびりと散策をしてその木の下で寝そべって休もうとしないのか。そうすれば、斧や鉞(まさかり)で伐られることもなく、何かを傷つけることもない。役立つことがない、使いようがないといっても、どうしてそれを悩んで苦しむ必要などあるのだろうか」と。
现代汉语
惠子对庄子说:“我有一棵大树,人家把它叫作臭椿;它那树干上有许多赘瘤,不合绳墨,它那枝权弯弯曲曲,不合规矩。它长在路边,木匠都不看它一眼。现在你说的那段话,夸大而没有用,大家都不相信,离你而去了。”庄子说:“你难道就没见过野猫和黄鼠狼吗?它们趴伏着身子,等候出游的小动物;它们东蹿西跳,不避高低;往往陷入机关,死于罗网之中。再看那牦牛,庞大的身躯就像天边的云,它的能力大极了,却不会捕捉老鼠。现在你有这么一棵大树,却愁它无用,为什么不把它种植在虚无的乡土、广阔无边的原野,随意地徘徊在它的旁边,逍遥自在地躺在它的下面;这样大树就不会遭到斧头的砍伐,也没有什么东西会伤害它。它没有什么用处,又哪里会有什么困苦呢?”
欢迎订阅中日对译语料库
获取更多内容
预览时标签不可点收录于话题#个上一篇下一篇